2001年4月7日 風見鶏


ご挨拶に代えて
 99.10.17の夜、生まれて初めて救急車の世話になりました。右耳の耳鳴り、右手のしびれが残りました。去年の秋頃になってようやく畑仕事ができるようになりました。書きたかった21世紀への提言の機を無くしたことが悔やまれます。今はホメオシタスを信じ、年のことを考えないで暮らすことにしています。73年生きれば十分だと思っています。
 荻窪の家も寒くなるまでに始末しようと思っています。………

みなさんが目白小を卒業したのは昭和39年(1964年)でしたね。
土田、畑、竹内、米山、佐藤の五人が担任でした。私は連続3回の卒業担任で疲れ、次は1年担任にして貰いました。
 みなさんも数えてみれば満50歳になるわけです。人生のまさに峠に立っているわけです。高橋雅、佐藤、関川、山田など残念ながら夭折したものもいますが、まず生きていることの幸せを感じていただきたい。そしてこれまでの自分の蓄積を生かし、さらに磨きをかけ、後に続くものを育てるべきなのです。
 人生に対する価値観は、出世、金儲け、そして自分にしかできないことへのあくなき挑戦(研究、発明、趣味、特技など)、伝道、奉仕、議員など社会的役割への志向などがあげられるが、わが子にかけるという人もありましょう。いずれにしても運、鈍、根に左右されるとはいえその根本は広い選択眼と血の滲むような努力でしょう。
 私は「自主と連帯」ということばが好きでした。個人として主体性を持ちかつ他に負けない能力を持つこと、それでいながら友を多く持つこと、人に好かれることが大切であるということです。お盆の上に立てた鉛筆と考えて戴ければよいと思います。
 兵藤君は、2回大田舎の私の家にきました。田島さんの娘 寧子さんは高校総体とプール開き、模範水泳と3回香川に来ました。まだしばらくはお付き合いできるでしょう。機会がありましたら我が家をお訪ねください。

2001年4月7日  竹内 宏
 

 
 
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